定慧の生死
ここから先は妄想だと思って欲しい。
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定慧は死んでいないと思っている。
定慧が孝徳天皇の後胤だろうと何だろうと、
当時鎌足にとって唯一の嫡子であった。
まだ不比等が影も形もなかったその時に、
息子を守る為に唐に留学させたのだ。
生きて帰って来れないかも知れない危険な
遣唐使船に、大事な跡継ぎを乗せなければ
ならなかった鎌足の心中はいかばかりだった
だろう。
鎌足は天智天皇の腹心と言われているが、
天智天皇は猜疑心が強く、誰にも心を許さなかった。
それは鎌足に対してもそうであったろうし、鎌足も
天智の豹変を常に危惧していただろう。
定慧を唐に送り込んだ後、次男史が誕生する。
史にも天智天皇後胤説があるが、これは無いと
考えている。史は紛れもなく鎌足の息子だと
思うのは、目的の継承があると見たからだ。
しかし、鎌足は史が幼い頃に他界している。
父と子の仲介者がなければ情報は伝達されない。
その継承者を、死んだはずの定慧と見るのは
妄想に過ぎるだろうか?
定慧は帰国すれば暗殺の危険があるだろう事は
誰もが知っていた。解っていてみすみす殺される
ようなヘマをするだろうか?
定慧は生きていた。
生きて史の補佐をしたと考える。
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