不比等の乳母は誰だったのか
不比等が幼少期を山科の田辺史の家で養育された
ことは解っているが、それ以前の事を知ろうと
しても、何処にもそれらしき資料がない。
スポンサードリンク
当時の結婚観を考えると、幼少期は母親の実家で
育てられるのが一般的である。
不比等も現在の群馬、車持氏の本拠地で生まれ
育ったと考えるのが自然である。
不比等が産湯を浸かり、母乳を飲んだのは、母自身
だったのだろうか。それとも古代のしきたり通り
乳部の様な育児専門の集団がいたのか。
古代に於いて乳母というのは、橘三千代の例でも
解るように、現代の我々が思う以上に影響力が
あったのだ、不比等の乳母が誰であったのか、かなり
気になるところである。
不比等と東国六腹朝臣との関わりは深く、律令編纂の
編者の中にも下毛野古麻呂などがいる。一方幼少期に
育てられた田辺氏からも百枝と首名が選定者に任命
されていおり、不比等が彼ら東国六腹や田辺氏との
繋がりを非常に重視していたのが解る。
ちなみに、東国六腹朝臣と呼ばれている六支族とは、
上毛野朝臣、下毛野朝臣、佐味朝臣、池田朝臣、
車持朝臣、大野朝臣のことである。
スポンサードリンク
サイト内関連記事
- 日本古代史の登場人物達の祖国とは
- 年上の弟とはどういうことなのか。そもそも、この二人は兄弟などでなかったとしたら。......
- 天皇家はどこから来たのか
- 天皇家と言えども、日本列島の出身ではない。 それは天皇陛下自らがはっきりと仰って......
- 藤原氏はユダヤ系!?
- あまりに突飛な話であるが、Webで不比等に関する 記述を探していると、何故か不思......
- 技術と人材
- シルクロードの東の果て、それは日本。行くだけで なく、来る人も多かったのではない......
- 民族の坩堝たる日本
- 渡来人の1氏族、秦氏についても諸説あるようだ。 ユダヤ系という説もあるが、中国で......
- 姓
- 氏姓制度の姓の中で、主なものとして、臣(おみ)、連(むらじ)、 君(きみ)、葛城......
- 不比等幼少期
- 不比等が物心ついた時に住んでいたのは、父・鎌足の 邸宅ではなく、田辺史大隅の家だ......
- 大津皇子の謀反
- 女帝・持統が我が子草壁皇子の将来を案じたのは 言うまでもない事である。 あらゆる......
- 耳面刀自
- 磐余の池で処刑された大津皇子が最期に見たのは なんだったのか。池の鴨などであった......
- 不比等の容姿
- しかし、貴族の中でも最下級の官吏に過ぎない不比等が、 なんの後ろ盾もなく皇子の処......
- 蘇我と藤原
- 鎌足の娘の耳面刀自は天智天皇が身分の低い采女に 生ませた皇子、大友の妃の一人であ......
- 不比等が目指したもの
- もし、不比等が野心だけの人であったなら、三千代の 野心も、蘇我の娘達の思惑も、全......
- 定慧の生死
- ここから先は妄想だと思って欲しい。 定慧は死んでいないと思っている。 定慧が孝徳......
- 定慧の役割
- 定慧が生きていたと仮定しよう。 彼は11歳から23歳まで留学僧として唐で生活を ......
- 群馬の多胡碑
- 不比等の母方の実家である群馬には、前にも紹介したが 多胡碑なる史跡がある。 多胡......
- ユダヤ×ペルシャ
- 古代日本が、実はイスラエル系渡来人と、ペルシャ系 渡来人集団による主権争いだった......
- 鎌足の「鎌」とは?
- 鎌足は中臣に養子として入ったのだが、前身は なんだったのだろう。 群馬から鹿島に......
- 鎌足・不比等親子の容姿
- ペルシャ系ならダルビッシュの様なエキゾチックな 容姿だったかも知れないし、イスラ......
- 定慧と不比等は実の兄弟か
- 不比等の存在は、兄・定慧と違って、かなり成長 するまで、帝をはじめ、大和政権の役......
- 車持氏の本音
- 不比等と定慧の母である与士古娘は采女である。 群馬の地方豪族である車持氏は、与士......
