不比等の野望
不比等の野望がさらに大きく膨らんだのは、多分
文武天皇と娘の宮子との間に長子が誕生したころ
だろう。首皇子(おびと)、後の聖武天皇である。
スポンサードリンク
直系による皇位継承が覆されない限り、このまま
いけば不比等の孫が皇位の就くことで、天皇家の
外戚という立場となるわけだ。
同時に、采女として後宮で発言権のあった橘三千代
(そのころには不比等の妻となっていた)との間に
女子が誕生し、どこまで本気だったかは定かではないが、
この娘と首皇子との婚姻も考えただろう。
三千代との間に生まれた娘は安宿媛と名付けられる。
後の光明皇后(聖武天皇妃)である。
しかし不比等は出世欲をむき出しにするような愚かな
ことはしなかった。自分の上につねにより上位の官僚
を配するように深謀をめぐらせたのではないかは推察する。
不比等は最後まで官僚最高位の左大臣になることを拒み
食封(じきふ)5千戸も給わるも辞退し、結果半分以下の
二千戸のみなんとか説得されて受け取ったという。
彼の目的はお金や地位ではなく、実権だったのである。
彼の目的、すなわち日本という立法国家の確立であろう。
実際、権謀術策だけの人ではなく、多くの仕事をした。
律令編纂もそうだが、遣唐使もその一つである。
スポンサードリンク
サイト内関連記事
- 定説の藤原不比等
- 不比等に関しては諸説あるが、まずは定説から。 斉明5(659)年、中臣鎌足の第二......
- 不比等登場
- 不比等が歴史に登場するのは、持統三年の判事に なった時で、生年を659年とすると......
- 出世街道を歩み始める不比等
- 皇太子だった草壁が死んだため、皇太子の位を父から 息子の軽皇子(かるのみこ 後の......
- 国家樹立
- 草壁皇子が没後預かっていた黒作懸佩刀を 新天皇に献呈する。不比等が親子二代の天皇......
- 大宝律令の編纂
- 律と令が初めて一体となった、本国初の律令である。 緊迫する周辺国家との国際情勢の......
- 遣唐使
- さて、遣唐使であるが、命がけで大陸へ行かなければ ならないどんな理由があったのか......
- 粟田真人
- 粟田真人は当時、スタートしたばかりの日本国の政には 欠かせない人物であった。にも......
- 粟田真人 2
- 粟田真人は不比等にとって重要なパートナーであり、 優れた政治家であり文化人でもあ......
- 持統天皇の死
- 不比等の強力な支持者であった女帝が死んだ。 いかに不比等が律令の専門家といえど、......
- 平城京
- なんときれいな平城京...で、日本人なら誰でも遷都の 年を知っている都であるが、......
- 養老律令
- 不比等晩年に、再度律令制度の編纂を行っている。 それが後の養老律令に繋がる。 養......
- 氏姓制度
- 人種・民族の坩堝だった大和・飛鳥。 不比等が幼少の頃はどの民族がこの国を統べるか......
