不比等の兄の謎

不思議な事に、この寺の創建年は712年なのだ。
記録では定慧は665年に唐より帰国した年に死んでいる。
父・鎌足が死んだのはその4年後、669年である。

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不比等から見たら、不比等が53歳の時に創建された寺で、
不比等が7歳の時に死んだ兄が、10歳の時に死んだ父の
菩提を弔うという事になるのだ。これは一体どういう事か!?

一番無難な回答が、不比等が兄に代わって父の菩提を
弔ったというもの。兄は長男であり、生きていれば父の
正式な跡継ぎだったわけなのだから、形式にこだわれば
あり得ないことではない。

何か意図する事があって、わざわざ定慧を開基としたのか
も知れないが、もう一つ考えられるのが、定慧は死んでは
居なかった...ということだ。

作家の陳舜臣(ちん しゅんしん)氏も、そう考える一人の
ようで、定慧をモデルとしているとしか思えない小説が
ある。「長安日記」(中公文庫)は、賀東望という日本人
留学生を主人公とする、唐を舞台としたミステリー小説
である。

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