不比等幼少期
不比等が物心ついた時に住んでいたのは、父・鎌足の
邸宅ではなく、田辺史大隅の家だった。
大隅の家は山科にあり、滅多に父に会うこともなかった
と一般的には思われている。
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何故鎌足は定慧亡き後唯一の嫡子である不比等を田辺氏
に預けたのだろうか。
よく言われる事には、不比等の兄・定慧が孝徳天皇が
鎌足に与えた寵姫との間に生まれた子であり、鎌足に
下された時既に身籠もっていたと言われている。
事実はともあれ、その様な噂が有るだけで、その子供は
天智の側近である鎌足にとってはやっかいな存在だった
のだろう。手元に置けばトラブルは避けられないという
理由から唐に留学させたというのだ。
そして、後胤説は次男不比等にもあったのだ。
天智天皇後胤説がそれだが、天智天皇の子であるならば
不比等を手元に置いたところで問題はなさそうにも思える。
それとも大友皇子とのトラブルを先読みしたのか...。
あるいは天武天皇の即位を予測しての行動なのか。
鎌足の行動の真意はわからない。
鎌足は冷酷・残虐なイメージが付きまとうが、しかし、
わずか11歳で唐に留学させた鎌足の心境を思うと、
父として息子に対する情愛があったとしか思えない。
後の争いの火種として邪魔なら消せば良いのだから。
彼は息子を守ろうとしたのではないか?
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